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17回忌に思うこと。

2012年01月17日 22:59

早いもので、阪神淡路大震災から丸17年の歳月が過ぎました。

生まれこそ違うとはいえ、芦屋-神戸東灘で育った僕にとっては、大好きだった街の命日でもあります。

自分が震災復興事業に関わってたこともあると思うんですが、僕にとってはずーっとトラウマになってる日でもありました。


誰のための震災復興事業なのか。

本当に喜んでほしい人たちはどうなのか。

もう元には戻らないのか。

僕たちの造ってたのは、コンクリートでできた棺桶じゃないのか。


測量やってる間、ずっとそんな思いが心のどこかにありましたよ。

孤独死のニュースは全国的にありますけど、震災復興住宅で劇的に増えたときは、本当に悲しくなりました。

某地区では、元住民の90%から反対されていた計画。強行突破で押し切る役所。生活のために理念は置いていくしかない業者。僕も強制収用の図面書いたりしたんで、大きなこと言えた義理じゃないんですけど。


測量辞めてからも、そんな鬱積したものってすぐになくならないと思ってました。

でも、ここ1-2年で、そんな街への思いが少し変わってきました。

去年、初めてこの17日に三宮の東遊園地でやっている慰霊会場へ仕事が終わってから行きました。

いつもルミナリエの時に見てる亡くなった方の名簿のある地下室に行って、ろうそくに灯をともして、メッセージを残して、池に花を投げて帰ってきました。

実際の慰霊祭には出てませんが、もっと早くに来ておくべきだったなと思いました。


それから1年。

今年は直前に大熱出してぶっ倒れたこともあって、残念ながら近所の公園の慰霊祭に時間合わせて行こうと思ってたんですが行くこともできず、東遊園地にも行くこともできずに過ぎようとしています。

それでも、以前は受け入れることができなかった「別の形に変わってしまった街」を最近は受け入れられるようになってきました。

3月の東日本大震災の影響もあるかと思います。

火事で焼け野原になった長田や須磨の惨状は、電車で見て絶句したのを今も覚えてます。

東日本大震災の津波での被災地も同じでした。

あの惨状を見て僕が思ったのは、

 
       ああ、まだ俺たち、マシな方だったんだな


というものでした。

確かに地震で多くの人が亡くなったことは変わりません。

それでも、津波ですべてを流されたり、地震後の火事ですべてを焼かれたりしたわけじゃなかったんです(局地的は火事は芦屋-神戸東灘でもありました)。

街の風景を形作ってくれていた多くの木造建築はあの地震ですべて壊れてしまったけれど、探せば、地震の前から元気に建ってる木造建築もまだあります。

街の様子は確かに大きく変わってしまったけれど、ここが育って、今も住んでいる街であることには変わりなかったんです。

東日本の被災地では、津波の影響や原発事故の影響で、元の土地どころか元の集落、元の街にすら戻れない人たちもたくさんいます。

そんな人たちを見ている内に「これはこれでありかな」と思えるようになってきました。

この街の様子が、かの地の人たちを勇気づけられるのならそれでもいいかなと。


この先も芦屋-神戸東灘の行く先は厳しいと思います。

ここ30年の内に来ると言われている南海地震の規模によっては、もう一度震度6強の揺れに、今度は未体験の津波まで予想されてます。

それでも、もう一度可能な限り作り直せばいいと思います。

僕はこの街の行く末を見守ると決めました。

その気持ちだけで、ものすごく楽になりました。

肩肘張って否定し続けなくてもいいんだと。


この17年だけでも、国内のあちこちで大きな地震が起きて、その度にたくさんの人が亡くなっていました。

その人たちにとって、今のこの街が復興した姿であるなら、このまま前に進んでいけばいいと思います。

いつか、3月の地震や原発事故で苦しむ地域の人たちの、僅かな希望にでもなるのなら。



コメント

  1. 蓮-hasu- | URL | 1m.x47P6

    Re: 17回忌に思うこと。

    一人ひとりの体験は誰も変わってあげられないけれど。
    経験は次に活かせると信じています。
    というか、活かさなきゃって。
    ガレキがそのまんまの土地、撤去されてなんにもなくなった野っぱら、立ち入れない水没した風景を見るたび思います。

    阪神大震災で関西の皆さんが経験したことは、私たち東北人を助けてくれている。
    私たちの経験は、いつか何処かに襲来するだろう大津波に活かせると信じています。
    …というか、まずは次の津波を乗り越えないといかんのですが。堤防ないし。地盤下がったし。

    こちらでは元通りの「復興」はできないから「再生」しようという表現も使うんですよ^^

  2. 忍恭弥 | URL | MAkumj2k

    Re: 17回忌に思うこと。

    >蓮-hasu-さん
    東北地方の惨状を見るたびに、水というのは本当に恐ろしいものなのだなあ…と思い知る有様です。
    こちらは17年経っても空き地のままの土地は数多くありますが、概ねみんなが言うところの「復興」という状態なんでしょうね。
    僕らが経験したことが、東北地方の皆さんに少しでも役立ってるなら不幸中の幸いです。これをまた、次に生かしたいですね。自然の驚異をなくすことはできないけど、少しでも和らげられるように。

    再生、いい言葉ですね。
    少しでも早く、新しい街が再生されて、新しい東北地方が生まれますように!

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